旅行記
〜陸羽東線撮影ツーリング〜
なおこの旅行記は後日書いてますので時系列はありません。
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2001年10月19日金曜日 |
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金曜の仕事終わりに出発とはかなりの強行だ。家を出たのはニュースステーションが始まる時間。前もって準備をしていたので車の中にはすでに撮影機材や着替えなどが積み込んである。あとはこれから6時間に及ぶ宮城県古川インターまでの運転に対する気力と体力だ。比較的元気なのでまあ大丈夫だろうという軽い気持ちで府中の家を出た。 まずは東北道浦和インターを目指す。府中からは高速道路を使えば、中央道〜首都高4号線〜首都高都心環状線〜首都高6号線〜首都高川口線と乗り継いで浦和本線料金所まで行く方法があるが、かなり遠回りになるので、いつも環八と目白通りの要衝谷原交差点経由して笹目通り〜美女木交差点〜国道298号線で行く。金曜の夜は都心を経由するとタクシーがバンバン走っているし事故や工事も多い。そのため渋滞に巻き込まれる可能性が高いと踏んだのだ。谷原までは三鷹通り〜青梅街道〜早稲田通り〜環八で出る。家を出る段階で燃料メーターは下を指しており給油が必要だ。とりあえずは給油ランプは点灯していないので、浦和までは給油せずに頑張る。住宅地の中は混んでおらず、環八で少しのろのろ運転に巻き込まれたものの快適に谷原交差点へと進めた。 谷原から先は渋滞中。環八は比較的動いたのに、笹目通りはなぜか徒歩のほうが早い感じがする。いったい原因は何だと思いながら車を進めるととんでもないことに気がついた。なんと道路工事で3車線ある笹目通りを2車線を規制しているために1車線しか通れないのだ。そりゃ渋滞するはず。ようやく和光市内に入ってから渋滞から解放されて美女木交差点へ進む。 美女木からは車はスムーズだ。信号は少ないし道路状況はいいので高速並みの速度で車が流れている。覆面パトカーに気をつけながら流れに乗って国道298号線を進む。と給油ランプが点灯した。ここである重要なことに気がついた。国道298号線は防音壁に囲まれているのでガソリンスタンドが沿線にない。かつ、国道298号線から浦和インターへの国道122号線もそんなにガソリンスタンドはないはずだ。案の定、給油できずに122号線岩槻街道へ。浦和インターまであと3キロの表示。これはまずい。辺りはラブホテルだらけで肝心のガソリンスタンドが見つからない。ようやく出光マークを発見。給油完了。64リッター入る給油タンクには55リッターが入った。このまま高速に乗ったら確実に途中でガソリンがなくなる。 給油を済ませいざ東北道へ。浦和料金所から東北道に滑り込むと長距離トラックが多かった。長距離トラックはそんなに速度を出させないので排気量2000ccでターボエンジン、280馬力の車にはそんな速度には合わせていられない。追越車線をひたすら進む。夜の高速は覆面パトカーがいても気づかないことが多い。時折追い抜くセドリックやクラウン、さらにはスカイラインまで気にしながら進む。当然オービスの場所はある程度知っているし、警告板にも注意を払いながら進む。そろそろ日付が変わる頃。あくびが出てきた。 |
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2001年10月20日土曜日 |
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快調に飛ばして来たけれど、日付も変わりもうすぐ午前1時。とりあえず仮眠をとることにした。関東脱出で那須高原サービスエリアまで行こうかと思ったが、そこまで持ちそうもない。つぎのサービスエリア・パーキングエリアは上河内。あと上河内まで3キロの表示が出る。左ウィンカーを出して走行車線へ。フットブレーキとエンジンブレーキと併用しながらスピードを落とす。サービスエリア内は長距離トラックとSUV系の車が止まっている。みんな仮眠中のようだ。私もエンジンを止めて仮眠に入る。 起きると午前3時。そろそろ出ないと古川インターにたどり着くのが遅くなってしまう。窓ガラスについた結露が消えるのを待って出発。再び本線に入るとさすがに午前3時ということで交通量は少ない。深夜の高速道路を快調に飛ばす。当初の休息予定地であった那須高原サービスエリアを越えて福島県に突入。仙台まで100キロ巡航で行けば5時には仙台、古川は5時半には到着できると踏んだ。郡山を抜けて福島の市街地の光を右手に進むとまた眠気が…。古川まで頑張る予定だったが国見サービスエリアに滑り込む。そしてまた仮眠をとる。時刻は4時半…。 携帯のアラームで目を覚ます。時刻は6時。辺りは明るくなっている。上河内と同様に結露が消えるのを待ってから本線に滑り込む。深夜帯は東京ナンバーなど地元ナンバーが少なかったのだが、今は宮城ナンバーばかり。地元の人が出かけ始まる時間帯らしい。仙台近郊の丘陵地帯を抜けて田園地帯に。宮城平野はすでに稲穂は刈り取られた後で籾殻を焼くけむりが立ち上っている。古川の表示が出たので走行車線へ。予定時刻より2時間ほど遅れて目的地に到着した。 古川インターを後にして国道47号線を鳴子方面へ進む。途中田園風景の広がるところで撮影。そして鳴子峡の撮影ポイントへ向かう。鳴子の温泉街を左手にバイパスを抜けて鳴子峡に近づくと路上駐車している車が増え出した。さらに鳴子峡の撮影ポイントの近くにある駐車場に止めようと向かうと、駐車場は観光客が溢れており満車状態。ただし回転が速いのですぐに車をとめることが出来た。当然カメラを片手に撮影ポイントへ行くと同じような人が三脚を立てている。そこへ列車がやってきた。シャッターを切るが列車は乗客にサービスしているのかのんびりと走っていく。 |
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紅葉見ごろの鳴子峡 |
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鳴子で撮影後、中山平温泉、堺田、東長沢で撮影。紅葉は山の上では見ごろだが麓はもう少しといったところ。ただ光線状態はすっかり秋だ。夕方5時には暗くなってしまい、6時の東長沢を通る列車を撮影して本日は終了。昼間は長袖のシャツで十分だったが、日が暮れてからはジャケットを着ないと寒い。寒暖の差が紅葉の進行を決めるようだが、この分だとあと1週間後がちょうどよかったのかもしれない。 日も暮れて晩飯の時間。せっかく新庄へやってきたのだから、行かなくてはならない店がある。それは駅前にある「急行食堂」。約9年前に訪れたことのある駅前食堂だ。郊外型大型ショッピングストアーの出店で地方都市の駅前の地盤沈下は深刻であるので、急行食堂もその存続が気になっていたが、アーケードがなくなったせいで少々趣が違うものの健在であった。縄暖簾も変わらず店内も9年前とほとんど変わらない。あえて変わったことといえばメニューに「つばさっ子ラーメン」が出来たこととお客である私が年をとったこと。早速みそラーメンと餃子を注文。注文を取りに来たおねえちゃんは高校の制服姿のままで家のお手伝いといったところか?9年前はきっとまだ小学校入学くらいのはず…。注文から10分弱。もやしたっぷりのみそラーメンが運ばれてきた。机の上にあった豆板醤を少し入れて早速頂く。夢中で食べていると餃子がきた。額に汗が滴り、汗だくになりながらスープまで完食。お会計は1000円。1000円でこの味でおなかいっぱいになるのだから安い。国道沿いのファミレスだとおそらく1000円なんて満足に食べられるところはないだろう。 店を出て駅前を探索。9年前に泊まったビジネスホテルやぎぬまは玄柳館という名前に変わっていた。さらに新庄駅には東口が開設されている。また標準軌と狭軌の接続点になったことでホームの配置が変わり跨線橋がなくなった他、かつて陸羽西線用のホームがあったところには地域交流館(?)らしき建物が建っている。車をとめた駐車場は無料だが午後9時で閉鎖されてしまうので、東口駐車場に移動。そこで今晩は寝ることにした。 |
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新庄駅 山形新幹線開業で佇まいが全く違う。 |
新庄駅前急行食堂 アーケードがなくなったものの店構えは9年前と変わらない。 |
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急行食堂店内 メニューの表示の仕方も変わらない。 |
みそラーメン(650円) 地獄ラーメンは頼めなかった…。 |
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2001年10月21日日曜日 |
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朝起きたら6時。堺田で朝霧の中を走る始発列車を撮るつもりでいたので急いで車を走らす。まだ朝6時ということで交通量は少なく、6時半に堺田到着。すぐに始発列車がやってきた。その後堺田で撮影後、風呂に入りたいので長沢方面へ。昨日「若あゆ温泉あゆっこ」なる看板を見かけていたのでそこを目指す。場所は陸羽東線の駅で言えば長沢と南新庄の間。旧国道47号線沿いの丘の上にある。辺りはコテージが立ち並び、最近流行のアウトドア施設といったところ。その奥に温泉はあった。入浴料は350円、泉質は食塩泉で露天風呂もある。町の福祉施設といった感じだが非常に快適だ。陸羽東線の撮影に来たときはまた来ようと思った。 |
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あゆっこ正面玄関 |
モニュメントのあゆ像 |
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風呂上りの後、山形新幹線を撮影して再び宮城方面へ車を進める。東京に夜着くには古川を遅くとも4時には出なくてはならないからだ。途中何箇所かで撮影しながら古川を目指す。古川のインターで東北道にのったのは午後3時半。仙台、福島と過ぎて関東に入ったのは5時半くらい。途中栃木インター周辺などで渋滞に巻き込まれたものの家に着いたのが9時。走行距離は約1200キロであった。 |
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